コーヒーブレイク







日教組の正体

20年11月21日(金)


H20年10月21日付の産経新聞正論で、佐々淳行氏が次の様なことを述べていた。
要旨は先般、国土交通省大臣を日教組批判の咎(とが)で辞職した中山成彬氏をむべなるかなとの思いで、擁護した文書である。
世間の人は全く知らないが、佐々淳行氏自身が経験したことを書いているため、より具体的に日教組なるものの正体があばかれている。仲々興味深いものがあります。日教組として反論があれば、是非聞かせて(読ませて)貰い度いものだ。
尚、大分県別府市での昭和33年日教組による道徳教育に反対する集団暴力事件は割愛する。


           ---------以下引用----------

警官の子を立たせる体罰

第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。数人がオドオドしながら立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と理不尽にも放課後、夕方まで立たせていた。
帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。
筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴哀願したのだ。
また、京都では警察官の子は勉強ができても成績は「オール3」だったという事実もある。
自虐史観の日教組は、日本のアジア侵略について、やった方は忘れても、やられた方は忘れないと言っている。同様に子供たちも忘れていない。日教組は、何の罪もないのに理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たちに謝ってから、ものを言うべし。

以上






仙さんやっぱり、エエカッコしいか

20年9月10日(水)


来年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表監督の要請があったとしても「こんな世論やメディアの状況のなかでやったとしても決して盛り上がらんし、そういう支持がなかったら成功なんかするわけがない。今 火ダルマになっている俺がなんでまた火中の栗を拾うようなことをするのか」と言ったという。
北京五輪で散々の成績に終り、采配までボロクソに云われて精神的に参っているのは分かる。
しかし、このコメントが事実とすればやっぱり星野さんも年老いて只のエエカッコしいに成り下ったと思ってしまう。
「今の俺にはWBCの監督を引き受けるだけの能力も気力もない。他に有能な人材が沢山居る筈だ。」と断るべきではなかったのか。
火中の栗を拾うような馬鹿な真似はできないというニュアンスなら、次に監督を引き受けた人は貧乏くじを引かされた、空気の読めない愚かなピエロというのか。
TVのコマーシャルでニコリとそつなく宣伝の言葉を喋る人が、こんなつまらぬ言葉を口にするのでは淋しい。

これも又、引き際の難しさなのだろうか。






冒険とは死と隣り合わせ

20年5月27日(火)


三浦雄一郎さんが昨日、5月26日にエレベスト登頂を果たした。75才の勇気とエネルギーに先ずは敬意を表したい。しかし私の心には何か素直に喜べないものがあるのはどうしてなのか。天邪鬼(あまのじゃく)だからなのか?いや、そうではない。冒険は本来単独で成し遂げるものだと私は思っているからだと思う。

私が学生の頃、太平洋を一人でヨットで横断した堀江謙一氏。
そして、登山家 植村直巳氏。彼等は万全の準備はチームで行っても、冒険行為は単身だった。骨を拾ってくれる仲間は横にはいない。
自然の猛威の下で、常に死を感じながら孤独にさいなまれ、強靭な精神と肉体でこれらに挑む。これこそが我々凡人の胸を打つ。

今回の三浦さんはこの日、屈強なスタッフ(4名か?)に抱きかかえられて登頂したようだ。
身の危険を感じれば、万全の態勢を整えた多くのスタッフにより安全地帯のキャンプまですぐ連れて帰ってもらえる。後期高齢者といえる75才なのだから当然とはいえる。

しかし、75才といえば、市民ランナーや水泳・剣道・スキー等で活躍する元気な後期高齢者は沢山居ます。「これだけの金とスタッフのサポートがあればワシでも登れる。」と思った方も案外多いのではないか。

以前、毎年富士山登山を行っているという百才の老人のニュースをみたことがある。私が「すごいな」というと、知人は「あれは皆んなで抱えて登って、カメラの廻る時だけ一人にしているのや」と訳け知り顔で宣(のたま)う。

プロスキーヤーって一体何なんだろう?こんな事を思う私はやはり天邪鬼かなあ・・・・・。







年 賀



 新年明けましてお目出とうございます。本年も皆々様の益々の御健勝、御多幸心よりお祈り申し上げます。
私にとって今年は還暦、正に団塊の世代そのものです。最近はなぜか小学生の頃をよく想い出します。スシ詰教室、給食はコッペパンにマーガリン。そして脱脂粉乳を湯でといたものが定番だった。それでも楽しく皆んな元気でした。月に何度か、米を一合持参した日には、かやくご飯やカレーライスを作ってくれたのはうれしかった。当時は貴重なタンパク源として鯨肉がよく出た。私はあの筋張ったような硬い身が好きで、友の顔と一緒に浮かんできます。
しかし今は、国際捕鯨委員会とやらの決議で、古来より日本の得意とする捕鯨は禁じられている。捕鯨反対の旗頭はアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド等である。捕鯨禁止の理由は色々あげつらってはいるが自国の牛肉輸出を守りたいだけにすぎない。現実に鯨は増え続け、世界の漁獲高1億トンの5倍、5億トンの魚が鯨に食べられている。海に囲まれ狭い国土、日本にとって、食の資源は限られている。何とか捕鯨復活を望み度い。
そして産業の資源である東シナ海のガス田開発も今年は正念場となる。日中の次官級会談の席で、中国は『日本が試掘に踏み切れば軍艦を出す。』と複数回発言し日本を脅している。
自然の生態系を壊す程増えた鯨を捕れない。日本領海の天然ガスの試掘さえできない日本。還暦を迎えた団塊の世代には残された時間は少ない。だからこそ今年も頑張りたいと思うのです。 

                             平成二十年  元旦






日本人の誇り

19年12月15日 (土)


世界に残存する地雷は1億個といわれ、総て撤去するのに要する時間は天文学的数字になる。
現在、金属探知器を使っての撤去作業となるが、金属に反応して音を出すだけの装置では、10円硬貨や空薬莢などの金属片と地雷の区別がつかない。
「1000回反応があっても、本物の地雷は1個ぐらいしかない」のにその都度、土を掘って確かめねばならず、きわめて効率が悪い。
この現状打破に立向かっているのが、東北大学の佐藤源之教授(49才)だ。
レーダー波の波長と信号処理を工夫し、対象物を3次元画像にする方法だった。
カギは最小限の研修で操作できる簡便性と市販のパソコンで動くソフト開発だった。地雷撤去に従事する現地の人々は決して技術の専門家ではないから。
佐藤教授の完成させた地雷探知機はALIS(エイリス)と名付けられ、今年10月クロアチアのベンコバツ市で実証試験が行なわれた。クロアチア政府の招請で、現地職員を指導して実験が重ねられた。
早ければ来年後半にもクロアチアでは実用化され、日本の技術がクロアチアの人々を救うであろう。そしてその技術は中東・アフリカ すべての戦争の傷あとを癒すこととなる。
日本人であることに誇りを持てる快挙だ。

                           産経12.14版より一部引用






金より大事なものがある

19年5月25日 (金)


今年 4月29日全盲の鍼灸師が大阪環状線桃谷駅のホームから落ち、右腕を切断する事故があった。何とも痛ましい限りで、目が不自由な上、仕事に必要な右腕を失っては、弱視の奥さんともども、生きる力が失せてしまったのではないか。
福祉・人権・慈善等、様々な団体が声高に弱者救済を訴え、具体的には金のかかる防護柵を作れという。確かに全て解決はするが他の方法もある。あとで述べます。
我故郷(ふるさと)香川は、農業用溜池が全国一多いが、そのほとんどにフェンスが張られ、子供の落下事故を防いでいる。それはそれで一理ある。しかし失ったものも大きい。
   ♪うさぎ追いしかの山   コブナ釣りしかの川
の童謡にもあるように、自然の中で自由にしかし、同時に危険をも学びながら、怪我を乗り越え伸びのびと育つ子供の力が失われたように思う。
先日、近所の高校生に午後4時頃、道で逢った。
「部活は休みなの?」と聞くと、「顧問の先生が今日はいないので部活は休みです。」と彼は答える。
学校の運動部活動も、今は先生が居なければ休み。教師不在時に事故があったら責任問題になるらしい。
何の為のキャプテンがいるのだろうか。運動部も弱くなる一方で、オリンピックの金メダルも減る一方。
大人は平和憲法で魂を抜かれて久しい。
今の日本人にとって頼れるものは金だけなのか。
5月14日の新聞に曽野綾子さんが素晴らしいことを書いていたのでそのまま引用します。是非お読み下さい。
前述の盲人の事故に関してです。


 盲人にとってプラットホームは「欄干のない橋」と言われるほど危険で、盲人が転落する事故は後を絶たないという。
それを解決するのは、都営地下鉄の三田線のように、電車が入ってきた時だけ開く防護柵を設けるのがいいのだが、それも費用がかかって一朝一夕にはできない、とニュース番組のコメンテーターなども歯切れが悪い。
 将来、新駅建設とともに防護柵の建設を義務付ける方向を確立することが大切だが、それができないうちの盲人の安全を確保するのはそんなに難しいことではない。それはそこを通りかかった人がいっしょにホームまで行き、行き先を聞いて電車に乗せることである。
 私は自分の住む町の駅で、何度か盲人が階段を降りている時、「電車までご一緒しましょうか」と声をかけた。私が会った方たちは、足元のしっかりした方たちだったせいか、「大丈夫です。自分で乗れます」と言われ、中の一人に至っては、「奥さんお急ぎでしょう。私にかまわず早くいらしてください」とむしろ私を気遣った。
 こういう達者な盲人とそうでない人との区別をつけるには、簡単な方法がある。駅の改札口の近くに、マークをつけた待合所をさりげなく置けばいいのである。そこに立っている盲人がいたら、それは介護があった方がいいです、ということだから、通りかかった人が目的地を聞いて、電車に乗せればいいのだ。
 私は二十三回、眼の不自由な人たちと、外国を旅行した。晴眼者と盲人の間には初めは一種の恥じらいと恐れがあって、何と声をかけたらいいのかわからない、という心理的な障壁はある。しかし大人でも子供でも、一度それを取り払ったら後は何でもないのである。「心をこめずに、片手間でできる親切」というものがこの世にはある、と私は言っている。親切はできるだけお互いに煩わしくない方がいい。
 盲人が怪我をすると、すぐ設置にお金のかかる防護柵を考える。しかしそれはおかしくはないか。家庭でも社会でも国家でも、どこにでも予算というものがあり、出費に限度があることは当然だ。そこで差し当たりどうしたら安く解決できるかを考えるのが自然だ。一人の人がそれほど負担にならず、数分で事が解決し、しかも確実に安全が実現できる方法はあるのだ。






年 賀



 明けましてお目出とうございます。本年も皆々様の益々の御健勝、御多幸心よりお祈り申し上げます。
 最近思うのですが、小学校で日本の偉人伝を教えるのはどうでしょうか。御両親も偉人伝を語ってあげれば、子供は一生忘れません。心の荒んだ大人にはならないような気がします。
 二宮金次郎、野口英世、吉田松陰、多くの偉人が日本にはいます。
「硫黄島からの手紙」で今や時の人となった栗林忠道、この人などは日教組を刺激して面白いかも知れません。
 無名の日本人にも偉い人はいます。海軍の名もなき「つわもの」の逸話を紹介しましょう。
 時は、日本の敗色濃厚となった昭和二十年四月五日。「大和」を旗艦とする海上特攻隊十隻は、山口県徳山港外に投錨。出撃準備を始めた。海軍は血に値する油を無駄にはしたくなかった。片道燃料の指示を出す。
 訳を知ったタンクの責任者は「海上特攻だ。死にに行くのに腹一杯食わさんとはけしからん。かまわん、燃料全部持って行ってくれ。」と叫び、独断でバルブを全開。「大和」以下各艦は満タンとなり、翌四月六日、沖縄に向け出撃した。
 涙が止まりません。こんな先生が多くいてくれたら子供達は幸せで学校は楽しく、日本の将来も、今日、此の朝のように清謐(せいひつ)で健やかなものと成りはしないか願わずには居られません。
                           平成十九年  元旦






リベラル派の二枚舌

18年10月18日 (水)


 北核実験の直前まで、国会質疑の焦点は、「A級戦犯は国内法上の犯罪人ではない」との安倍首相答弁だった。
 10月6日、衆議院予算委員会で質問した民主党岡田克也元代表は「サンフランシスコ条約で(東京裁判を)受け容れた」経緯に触れ、「当然、条約は国内法に優先するわけですから、日本において犯罪人であるというのが正しい答えであると思いますが、いかがですか」と質した。
 同日夜放送された「NEWS23」(TBS系列)の筑紫哲也キャスターもこう語った。「国内法的にと言うが、国内法で裁いてない。他方、サンフランシスコ条約を受け容れている」「条約のほうが上なんで、問題がずれている」
 改めて、彼らリベラル派に問う。国内法(憲法法律)と国際法(条約)はどちらが上位なのか。
 概して憲法学者は国内法優位説を、他方、国際法学者は多く国際法優位説に立つ。他の学説として二元論もあるが、民主党と筑紫キャスター(ないしTBS)は国際法優位説を標榜した。
 その是非は問わない。
 もし国際法が国内法に優先するなら、当然、日米安保条約が憲法に優先する。ゆえに安保が違憲なら、憲法こそ条約違反ということになろう。
 当然、国連憲章(条約)が憲法に優位する。国際法が認めた集団的自衛権行使を、国内法に過ぎない憲法九条が否定するなど身の程知らず。話題の「臨検」(国連海洋法条約)も当然可能となる。
 以上を否定し「A級戦犯」についてだけ条約優位を主張するのは巧妙な二枚舌である。彼らもまさか、そこまで卑怯な態度はとるまい。(評論家・潮匡人)






戦後61年 日本はいま

18年8月15日 (火)


 今日は8月15日。小泉首相はその日早朝、小雨をついて九段、靖国神社に参拝した。これに反対する国会議員、進歩的?文化人、マスコミと仲々、喧(かまびす)しい。
反対派は、A級戦犯が祀られている神社へ一国の首相が参拝することは、中国や朝鮮に申し訳ない。自重すべきだということらしい。過去60年に亘り、何度も謝罪しているというのにだ。

近年、小学校の運動会で、徒競走は皆んな仲良くお手々つないで一緒にゴールインさせるらしい。学校教育の目指すものは一体なんだろうか。
子供に差をつけるのはいけない。平等でなければならない。友達とは仲良くし、けんかをしてはいけない。そして大人になれば、世界の国々と仲良くし、その人達と手をとり合って平和な世界をつくり、貧しい国には自国の安全には目をつむり、福祉を削ってでもとことん援助してゆかねばならない。例えその国が日本を妬み、辱め、隙あらば領土を狙うような国であってでも。日本をどうもこのような国にするのが目的らしい。そしてそれは可成り成功している。

そして商売で金儲けするためなら、中国が「靖国へは首相が行ってはならない。」といえばそれに従うようにせよと首相に云った経済界の偉い人もでてくる。経済同友会代表幹事の北城某という金儲けのうまい商人だ。
これが先の戦争で300万を超える同胞を失った日本人の61年後の姿である。
成れの果てとは云わない。経済発展を遂げ平均寿命も伸び、世界に冠たる経済大国にのし上がったのだから。

しかし、お金や安全(日米安保)と引き換えに大切なものを失ったことに多くの日本人は気付いていない。そういった人々を前にマスコミを通して得々と喋りまわる国会議員や進歩的?文化人たちが居る。
朝から晩までマスコミが垂れ流す幼児的情報は確実に日本人を目先の金銭だけに目を向け、空虚な平和主義が闊歩する。これと引き換えに失うものの重要さを忘れさせていく。

戦後61年、日本人が失った重要なものとは、それじゃ一体何なのか。
それは民族の誇りです。
米国の作った憲法、教育基本法、日米安全保障条約等々のお陰?で優秀な日本人はお金儲けに徹し、見事この目標を成就した。しかし、20世紀の世界を支配する白人の国家に只一人有色人種として戦いを挑んだのも日本だった。そして惨めな敗戦。しかし、唯々諾々と白人世界に従う道が良かったのだろうか。外に道はあったのだろうか。万策尽きての戦争だったのではないか。米国はどんな手段を使ってでも日本を戦争に引きづり込んだであろう。そして戦後は、米国の占領政策の柱、日本人を腑抜けにし、民族の誇りを失わせ、二度と白人社会に牙を剥いて立ち上がることのない国にするということが、今、ここにきて完逐されてきたなという気がする。

何故ならば、かなりの日本人自らが、日本の首相が246万柱の御霊を祭る靖国神社へ参拝することがいけないというのだから。戦後、日本政府はABC級戦犯について、戦勝連合国すべての了解をとりつけ尚、4000万国民の署名運動や国会決議を経て、赦免復権させた。しかるに、彼等を同胞である日本人が何時まで戦犯と呼び続けるのか。一部外国が戦犯と呼び続けることは外交カードであり簡単に手放したくないのは当然としても。多くの日本人は彼等だけに戦争責任を押しつけることは間違っているのではないかと考えていると私は思いたい。いやそんなにむつかしく考えることもない。靖国神社に赴き、じっと掌を合せれば、246万柱の英霊、その姿がみえ、声が聞こえてくる筈だ。にこっと微笑み「会いに来てくれて有難う」という。

東條はじめ絞首刑で命を断たれた指導者たちは英霊にとっては怨みの対象ではない。
ましておや、命で罪(連合国のいう)を購(あがな)った者に対して外国からこれ以上難癖をつけられる謂(いわ)れもない。命以上のもの、それはもう出しようがないのだから。

小泉首相のいう通りで「何時行っても文句ばかり云われるならば、8月15日に行く。」というのも宣(むべ)なるかなである。

戦前の日本人は朝は朝星、夜は夜星で仂き、大和なでしこは製糸工場で15時間仂き、農村でも爪に火を灯すような貧しさに耐え、軍艦や戦闘機そして鉄砲の玉を作った。若者は赤紙一枚で出征し散っていった。これも民族の誇りを守り、国の独立を内外に示す気概あればこそのものです。
今の日本人にはもうこんな生き方はできない。しかし、中国の勝手な云い分を拒絶することによって多少のお金儲けが目減りしても、それに耐える位のことは未だできる。日本人は最終的には、中国との貿易で得られる利益が減少しても、民族の誇り、国家の独立を内外に示す力に賛成するだろう。

小泉首相がこの5年間中国の意に逆らって靖国に参拝を続けても、日中貿易額は伸び続けているのだから、利益の目減り等は全くの幻想で、本当に困っているのは中国共産党幹部のみというのが真相ではなかろうか。「反日」をもて遊んでいるうちに自身の内政問題が処理できなくなり、体制が破壊する危惧も見えている。「人を呪わば穴ふたつ」という諺もあるではないか。
今や日中は互の協力なしでは生きてゆけないのが現実であろう。そして、我が日本は、他国からの謂(いわ)れなき中傷には毅然たる態度で臨むことが独立国の所以ではなかろうか。






今日は吉川潮の面白い文章を読んだので、そのまま載せます。
巨人の視聴率低迷はなぜ?

18年5月24日 (水)


 今シーズンの巨人は強くて首位を走っているのに、テレビの視聴率が一向に上がらない。どうしてだと思いますか?
 某週刊誌にコメントを求められた。私はこう答えた。「パ・リーグの選手が多過ぎるからです」
 セパ交流戦でオリックスが巨人と対戦した際、清原選手が巨人のベンチを見て、「パ・リーグみたいやな」と言った。「あんたに言われたくないよ」とツッコミを入れたくなる発言だが、間違ったことは言っていない。
 小坂と李は元ロッテ、小久保と工藤は元ダイエー、小関は元西武、先発のパウエルは元オリックスだ。豊田は昨年まで西武のクローザー(抑え投手)だった。選手だけではない。投手コーチの尾花もソフトバンクから引き抜いた。
 チームを会社の花形営業部に置き換えてみる。部長こそ生え抜きの幹部だが、課長以下の部員に同業他社から引き抜いた者が多いとどうなるか。いくら営業成績が上がっても、会社の士気は上がらないし、得意先の受けもよくない。「お宅の会社はよその会社から引き抜いた社員が多いんだって?」と言われ、お客様にまでそっぽを向かれかねない。
 巨人の球団関係者や系列テレビのお偉いさん方は、チームが強くなれば視聴率が上がると思っているようだが、真の巨人ファンは「どんな勝ち方をするか」、「誰が活躍して勝つか」にこだわる。
 生え抜きの高橋由伸が四番を打って活躍し、エースの上原が好投して勝つのを見たい。ロッテを自由契約になった李が四番を打つ巨人など真の巨人ではないと思っているファンが多いのだ。首脳陣はそのことを改めて認識すべきである。
                    (作家・吉川潮)





MF  中村俊輔のこと

18年5月19日 (金)


 先日、ドイツW杯日本代表23選手がジーコ監督から発表された。巻も選ばれ久保が外れたことも大方順当なものとしてファンに受け入れられた。
 日の丸を背負ってピッチを駆け回る選手の姿を想像するだけで、早くも閉塞感の充満する現実の生活を忘れ血湧き肉踊る精神の高揚を現実のものとして感じ、胸の高鳴りを押えることのできない今日を過ごしているのは私だけではあるまい。
そして何と、5月16日にはジーコ監督、川淵会長と主将DF宮本、MF中田、GK川口の四選手が皇居に参内 (今風なら招かれたと言うべきか)天皇皇后両陛下の拝謁(これもお目にかかったと表現すべきか)を受けた。
 この拝謁に最も感激していたのは誰か、勿論中村俊輔である。
「今は、スコットランドのセルティックですね。この四年間大変でしたね。よく頑張りましたね。」
との温かいねぎらいの言葉を頂いたのだから。この天皇のお言葉は短かった。しかし日本のファン総ての気持が凝縮されており、誰よりも中村自身が骨身に浸みている。小泉総理のワンフレイズポリティックスとは全く次元の異なる崇高なものである。
 本題から逸れるが、四年前の、あのトルシエに嫌われ、日韓大会メンバーリストに名前がなかった時の俊輔の気持をファンは忘れない。私個人的には、黄色人種を蔑視した態度で甲高いフランス語を喋るトルシエが嫌いで仕様がなかった。カズもドーハでは屈辱的な扱を受けていた。その点ジーコは素晴らしい。
ジーコのポルトガル語は私の耳に心地よく響く。
 私の勝手な思い込みかも知れないが、人種の坩堝ブラジルでサッカーの英雄になった男である、人種差別の意識など全くないであろう。よくぞ俊輔を選んでくれた。そして天皇が仰しゃったように、よくぞこの四年間腐らず俊輔は頑張った。ドイツでの日本選手の活躍祈念したい。 





国の誇り自覚したイチロー

18年3月20日 (月)


 昨日のWBC準決勝で三度目の正直で日本は韓国を破った。これでキューバとの決勝戦進出が決った。実は、あまりこの野球世界戦というのには興味なかった。今でもあまりない。しかし、松井がメジャーでの役割を優先させてこの大会に欠場したことに対しては納得のいかない思いをずっと抱いていた。
 しかしここにきてその理由が分かるような気がしてきた。そしてそのことは新聞誌上でみるイチローの発言、行動によって、よりはっきりと私の中で整理されてきた。イチローの発言内容を拾ってみる。
「向こう30年、日本には手を出せないと思わせたい」  「韓国に3連敗したら日本球界に汚点を残す」  「勝つべきチームが勝たなければならない。それは僕らだと思っている」
 韓国チームに2連敗を喫した後には「これほどの屈辱を味わったことはない」と唇を噛んだイチロー。日本選抜チームに合流した初日から日本を引っ張り続けた。ミーティングでは一番前に座り、ランニングでは先頭を走る。
 そして、昨日の韓国戦では打席に立った時や打球を捕った時はもちろん、スタンドのオーロラビジョンに姿が映るだけで韓国スタンドから巻き起こる大ブーイング、そして平然とイチローは云う。
「ブーイングは大好き。もっと強い方がよかったかな」 「韓国に負けてしゃくにさわったが、今は本当に気持ちがいい。野球は喧嘩じゃないけど、そういう気持ちで戦った。二度負けたが、本当は勝って当然」と言ってのけた。世界の頂点に日本野球を立たせたいとの強烈な意識の表れである。
 「WBCに出ると決めた時から決勝のことはイメージしてきた。オフにやってきたことは、すべてこの日のため。ここまできたらもう一度自分のすべてを表現したい」と締めくくった。
その存在だけで大きなパワーとなる選手。それこそが国の誇りと思う。その存在を思うとき、松井が何故その力がありながらチームジャパンに合流できなっかたのかと残念に思う。
 きっと、あと2〜3年すれば松井も「国の誇り」の意を理解できると思う。なぜならば遠い異国で己の力のみで生きる生活を続ければ、心の支えとなるものなくして実績は上がらないことに気付くと思う。それにはあと数年かかるのだろう。誤解を恐れずに云えば、松井は未だ御身大切と考えたのかもしれない。大義に生きればもっと力がでるのではないか。その点でイチローは先輩であった。
 心の支えとは自分の体の中を流れる血の源流まで遡った日本人としての誇り意外何物でもない。identityと英語では表現するのかも知れない。日本の日の丸を背負って生きることの確かさ。強さ。を若くして自覚したイチローには敬意をもって接する外ない。
 勿論、韓国にはコリアン魂があろうし、米国にはヤンキースピリッツ、英国にはジョンブルスピリッツがある。それらの相克の中にドラマが生まれ相手を称える気持ちも生まれる。

 今日はイチローを讃えよう。今までの自分を抑えた、どちらかというと控えめな発言をなすイチロー。(これも日本的とはいえるが)この仮面をかなぐり捨て、はじめて戦う男、イチローをみせてくれた。オリンピックでもイチローのような選手をみてみたい。
頑張れ ニッポン!





18年2月19日 (日)


 「男たちの大和」 観た。
 内容に目新しいものはないが、安っぽい反戦思想や、政治的な臭いを一切カットし、貧しい若者勿論学問もありゃしない、そんな17〜18才の未だ子供が、志願し、家族やお国を護る為に、覚悟を決めて戦い散って逝く。
 硝煙うずまき、飛び交う弾丸、あっけない程簡単に人肉が飛び散り、真っ赤な血の海と化す。そして大和の主砲が火を吹く音響の凄まじさ。そして大和は沈む。死んだ者も生き残った者にも、互に交い合う生と死の狭間での人間模様。つきつめれば、死ぬのも覚悟、運強く、生き残った者にも覚悟である。
 主演の若者が素晴らしい。彼の生還を広島で待ちわび、原爆で若い命を落とすヒロインの天真爛漫、純粋無垢の演技も涙を誘う。
一口で云えばこんな内容だった。しかし、この覚悟を決めるとは一体何なんだろう。17〜18才の子供のような水兵といえども、覚悟さえ決まれば、皆んなそれはもう立派な大人ではないか。いや、覚悟の定まらぬ大人も沢山いるかもしれない。
 僅かの官費手当に口べらしで志願した少年も、又、そこまで追いつめられた帝国陸海軍も何とも悲しい物語である。しかし国を護るの気概は間違いなく全員にあったであろうことは容易に想像できる。
 そしてその気概・覚悟の強さと、生への望み、愛する人への執念。それは、母であり、妻子であり恋人でもある。
 この戦争と平和の普遍的問題をうまく表現していたが為に、この時代の若者と現代の日本の若者が、本質的には何ら変るところのない熱い心を持っている事を発見させてもらったことは、私にとって全く想像すらしていなかったことであり、嬉しくて満ち足りた心の安寧を得た。
 それは、このようなことであった。上映までは何時ものようにザワつき、携帯が鳴っていた。しかし、若いカップルが多かったので私は戦争映画にしては意外だなと、単純に考えていた。それがスクリーンに像が写ると同時にピタリと静寂が訪れ、寄り添う筈のカップルの頭はそうならず年配の客は身じろぎもせず、当然私もそうでしたが、覚悟を決めて生きているスクリーンの若者達に引き込まれていた。
 私は昔から、すぐ涙腺がゆるんでしまう性質(たち)ですが、この日も上映中ずっとそうなってしまった。廻りの若い人たちも恐らくそうだったに違いない。
 携帯は全く鳴らず、咳も聞こえず、この日のようのシーンとして映画を観たのは本当に久し振りだった。
 終りが近づきキャストが流れ出すと席を立つ客がいるものだが、この日は違った。誰一人として席を立たず、若いカップルたちも最後まで、スクリーンを凝視している。東映としてはクリーンヒットと思っていよう。
私としてはこんな若者がこれだけいれば、日本の将来はまだまだ捨てたものじゃないと思った。





   30年ぶりの靖国神社

18年2月12日


 2月12日の日曜日に30年振りに靖国神社へ参拝した。
中央線 市ヶ谷で降り、靖国通りを徒歩で下り(実際は上り坂だけど)南大門より境内に入った。すぐ、桜並木があり、此の季節まだ寒々としているが、寄贈の名札がかかっている。
「第37師団戦友会」 「陸士60期生」 「支那駐屯歩兵第2聨隊」 「北支・マレー・ビルマ高射砲第20聨隊」等々勇ましい。靖国神社ならではである。
 すぐ左手に拝殿があり、そこで賽銭を入れ頭を垂れる。
この日は時間がないので資料館へは入れない。踵を返し、東正面大鳥居を望む。大村益次郎の銅像が江戸城を眺むように大きく聳え、その後姿の向こうには東京理科大の新学舎が参道を塞ぐように見える。これはやはり正門から出てきちんと神殿に向かってもう一度拝礼して帰らねばと思い参道を出口に向かって歩く。
 大村益次郎の像までの間に日曜市の露店が並ぶ。古いカメラ、鉄兜、十手、双眼鏡、鉄瓶、瀬戸物、日本刀らしきもの、錆びたサーベル、正にガラクタ市である。左手に彼等を見やり乍ら大鳥居まできた処で正面に向かって拝礼、靖国神社をあとにする。
 帰路は飯田橋からとする。すぐ北に折れる。左手に九段高校・歯科大を見ながら、牛込橋を渡るともう飯田橋の駅である。秋葉まで戻り京浜東北線に乗り換え浜松町で下車。次はモノレールで羽田まで出る。
 こうして1時間程の清浄な時を過ごしたのです。
春の暖かい日がくれば桜が咲きほこり、戦死した兵隊さんの霊もほほえむのかしらん。
 私が東京で働いていた頃、此処で花見をしてからもう30年。この間どれ位英霊たちのことを考えたであろうか。仕事に追われ、自分の事しか考えてこなかった時間を省みると恥ずかしい。
今度はもっとゆっくりと参拝することにしよう。そして、それまでに心の整理と生きることの覚悟を固めておこう。

 機の窓からは、はや美しい瀬戸内海が望め、高松空港着陸が近づいていた。